イラスト・文/河原敬吾

 

田園都市線用賀駅前の商店街。時間は夜の22時過ぎ。
残業や飲んだ帰りのサラリーマン、何をやっているのかわからない職業不詳の私服の人、大学生風の若者らが駅から家路に向かって歩いている。
ブー太郎はいつものようにフラフラ歩いてると、一人のサラリーマンが近づいてきた。飲んだ帰りなのか赤ら顔で少し酔った様子。

「あれ?ノラ猫だ。かわいい。こっちおいで」

そう言うとサラリーマンは、
手に持ったコンビニの袋からさっき買ったばかりのカニカマを取り出し、袋を破いてブー太郎に差し出した。

「ほら?どうした?食べないの?」

ブー太郎は、男の様子を少しだけ眺める。
疲れた様子のサラリーマン。年は30代半ばくらい。メガネをかけ整った髪型、さっぱりとしたスーツ姿。ブー太郎が昼間に出会う人と比べて特徴がない。なんの変哲も、毒気もない顔。

カニカマはあまり好物ではないが、差し出された食べ物はとりあえず口にしてみるのがブー太郎の主義。

鼻先で少しニオイを嗅いでからカニカマを口にする。

「あっ食べた!どう美味しい?」
何か話しかけてくるが無視して食べ続ける。

「あれ?尻尾が二つに分かれてる?珍しい」
尻尾のことは言われ慣れてるので、ブー太郎は無視して食べ続ける。

「気に入ってくれたみたいで、よかった。ネコが食べてる姿を見てるとかわいくて癒される」
と男の独り言。

ブー太郎は男に興味を示さず食べ続ける。

このサラリーマン、渋谷にある某百貨店の係長。
仕事終わりに渋谷で一人飲みし自宅のある用賀まで帰ってきたところ。それでも、まだ飲み足らずコンビニで缶チューハイとカニカマを買って帰る途中でブー太郎と出会った。

「よく食べるね。美味しい?」

別に美味しくはないが、差し出されたものなのでもくもくと食べる。

なんの変哲もない男だが、自宅には3年程付き合って同棲中の彼女がいる。将来と生活への不安から結婚するでもなく、一人の寂しさより二人の煩わしさから惰性でダラダラと付き合いを続けている。仕事に対する向上心はあるが大きな野心があるわけでもない。生きがいは、たまに行くアイドルのイベント。

酒とアイドルは現実の煩わしさと将来への不安を忘れさせてくれる便利な道具。
さえない係長。

「美味しかった?」
係長は、残ったカニカマをコンビニの袋にしまってから立ち上がり、ブー太郎に手を振りながら「またね」と一言。

ブー太郎は、この男の顔をジッと見る。
また声を掛けられても思い出せる顔ではない。

自由な猫は、不自由な係長のことなど覚えていられるはずもないが、礼節は重んじるので「ブー」と一言。

ブー太郎はまたフラフラと歩き始めた。
5歩ほど歩いてから振り返って係長を見たが、周りにも同じようなスーツ姿の男ばかりで誰が係長なのかわからなかった。

おわり