情報と情緒の視点から次の時代のヒントを得るためのインタビュー連載「SCROLL」。
今回のインタビューは、関岡木版画工房の若手職人・阿部紗弓(あべさゆみ)さん。
阿部さんは、全国に60人ほどしかいない彫師・摺師の中でも最年少の25歳。20歳で彫師になってから5年。木版画という希少な業界の中でどのようなことを感じ、考えながら働いているのか?をお聞きしました。

彫師とは?

浮世絵版画は「絵師」「彫師」「摺師」という三者の分業によって行われている。彫師は絵師の描いた墨線(輪郭線)を版木に貼り、彫刻刀を用いて線を彫っていく仕事。

──木版画業界に入ろうと思ったきっかけは何ですか?

 私が生まれ育った神奈川県鎌倉市では、地元の伝統工芸品『鎌倉彫』を体験する授業が図工の時間にあったんです。その時に自分の手で何かを作っていく、ものづくりへの楽しさを知ったことが木版画業界に入ったきっかけです。
 
 中学の時にはものづくりに携わろうと決めていたので、卒業後は硝子や陶芸、木工などを学ぶことのできる3年制のデザイン専門学校に進学しました。

 就職活動の際、荒川区が伝統工芸士の継承者育成支援事業を行っているのをHPで拝見し、ちょうど木版画の彫師を募集していたので応募しました。

──最初はどのようなことをされるのですか?

 継承者育成支援事業に採用をもらったのが10月で、翌年の1月~3月が試用期間だったんですけど、その3カ月は自分の道具を作っていました。

 仕事で一番使う『小刀』は持ち手の部分が木で出来ているので、握りやすいよう自分の手の大きさに合わせて作ります。それから、彫刻刀の刃物の研ぎ。

 これが今でも難しいです。刃先が砥石の上に60度くらいの角度になるように調整して研いでいくんですけど、刃が薄くても厚くてもかけやすくなってしまうのでダメなんです。

 彫り始めたのは、試用期間が終わって本格的に働き始めた4月からでした。

──最初はどのようなものを彫るんですか?

 『稽古彫り』というものを行います。私は歌舞伎演目の『仮名手本中心蔵』の台本の文字を彫って練習しました。

 使用するのは、山桜の板目版木。堅くて粘り強いので、浮世絵版画の版木として有名です。

 繊細な彫りができるんですけど、いかんせん堅いので……。始めた時はすぐに刃が折れてしまっていました。その度に刃を研がなければならないので、一向に作業が進みません。だからと言って、浅く彫っても摺るときに余計な部分に墨がついてしまいます。

 深く彫る必要があるけれど、刃がかける。その力加減がとても難しかったです。慣れるまで1年くらいかかりました。

師匠の三代目・関岡扇令さんに彫りの流れを説明していただいた。厚さ3cmに切って5年間乾かし、手鉋(かんな)をかけた品質の良い山桜の板目版木を使用している。

──彫りに慣れるまでの期間、どのようなことを感じながら仕事されていましたか?

 何度も同じところで失敗したり親方にも厳しくダメ出しを受けたりしていたので、正直辞めたいなと思うことはありました(笑)

 だけど、その度に同じ工房内で働いている摺師の先輩や親方のお弟子さんたちが悩みや相談に乗ってくれました。

 親方もただ厳しくしているわけではなく、私に怪我をさせないために助言してくれているんです。親方は、分からないところは分からないと言えばちゃんと教えてくれますし、何よりすごい技術を持っています。親方のような彫ができたらと思いながら、日々修行に励んでいます。

普段はもくもくと仕事をする二人。時折、流しているラジオの話題で談笑し合っており、工房内は静かで穏やかな空気が溢れている。

──5年経った今、どのようなことにやりがいを感じますか?

 最近は彫が細かければ細かいほど楽しいです。少しマニアックな話になってしまうんですけど、二本の並んだ平行直線を彫る場合、線を残すために各両脇を彫っていく必要があります。すると、二本線の間の不必要な部分の木が台形型に綺麗に取れるんです。それがとても快感で(笑)

 あと、彫っている時の音も好きです。先ほど例に挙げた直線の長さが人差し指一本分だった場合、それ以上彫ってしまわないよう線の先端にバツ印を彫ります。その時にパチパチという音が鳴って気持ちが良いんです。彫っている時間が何より楽しいですし、やりがいです。

阿部さんは現在、親方が地墨を彫った色板木を手伝っている。作品は、大正から昭和にかけて風景版画を制作した川瀬巴水の『東京十二題 春のあたご山』。全て彫り終えるまでには1か月~1カ月半ほどかかる。

──最後に。将来はどんな彫師になりたいですか?

 この業界に入ったからには、やっぱり浮世絵をイチから一人で彫りたいなと思います。今は弟子として親方の仕事を手伝っていますが、将来的には独立をしなければならないので、様々な絵や線のタッチに合わせることのできるマルチな彫師になりたいです。

 それと、この業界に入る時、親方に「将来この仕事がなくなるかもしれないけれど、それでも良い?」と訊かれたんです。木版画の仕事や彫師・摺師の人数が少ないことはもちろんですが、近年では版木や和紙といった質の良い材料を作る職人さんたちも減ってきています。

 全体的に厳しい業界ではありますが、それを覚悟した上で働くことを決めました。今は、江戸時代から続いている木版画の技術を自分が繋げていっているという使命感があります。

 この先も繋げていくために、将来は伝統工芸士として認定されたいです。

荒川区の継承者育成支援事業について

職人・ものづくりの街として、江戸時代から伝えられてきた技術を持つ多くの職人さんたちが活動をしています。江戸の伝統や文化を継承していくために、荒川区では『荒川の匠育成事業』という制度を行っています。後継者を目指す方には、月10万円の研修手当と荒川区内に移住した場合に限り、月3万円の家賃補助によって支援をしています。詳しくは下記サイトをご覧ください。