「会いたい人に会いたい」。

かわっちで記事を書き発信する場所を作ったのは、締め切りも制約もないなかで更新したい衝動に駆られたときに発信することで、日々、大量の情報が溢れる社会のなかで書きたいことが情報の渦にのみこまれず、時間と空間の波に揺られ自然環境と一体化することで、自然と自分が抱えている柔らかい感覚が手触りのあるものに変化していく様を見てみたいと思ったからだ。柔らかい感覚を手触りのあるものに変化させるために「会いたい人に会いに行く」と決めた。ミーハーや憧れではなく、湧き上がる「会いたい」という衝動を捉え手触りを作る前の柔らかい感覚で交わり、前かがみになった背骨を伸ばすことで情報の渦と少しは対峙できるような気がしたからだ。

「会いたい人に会いに行く」と決めて、一番先に頭に浮かんだのがベトナム人僧侶のティック・タム・チーさんだった。

2019年に放送されたNHKスペシャル「夢をつかみにきたけれど ルポ・外国人労働者150万人時代」中で、長時間労働や賃金の未払い、パワハラなど様々な問題を抱える母国からやってきた技能実習生や留学生の世話をする姿が映しだされていた。

異国(日本)の地で僧侶として働き、同胞の世話をする姿に疑問が沸いた。

「なぜ?」

技能実習生制度は日本の労働者不足を下支えしながら、低賃金長時間労働など様々な問題の温床になっていることは知っていた。さらに、2023年10月現在では、9,000人を超える実習生が失踪しており制度そのものを廃止する議論にもなってきている。

タムチーさんには申し訳ないが、制度そのものに不備があり、問題を抱える人が次から次へと表れる以上、制度や仕組みを変えない限り目の前の人を救っても徒労に終わるのではないかと思った。なぜ自分の人生をかけ異国の地でこんな活動をしているのだろうか?

「会って話がしてみたい」素直にそう思った。

コロナ禍の2021年2月、彼女が住職を務める埼玉県本庄市にある大恩寺にうかがった。アポを取る段階から彼女はとても忙しく、更にコロナに感染し退院した直後でありあまり時間がとれないことが伝えられていた。

聞きたいことはひとつ。

「なぜ日本で僧侶をして同胞を助けているのか?」

それだけ聞ければいい。

埼玉県本庄市の外れにある大恩寺に着いて本堂に通されると、多くのベトナム人やタムチーさんを訪ねる日本人でごったがえしていた。誰が誰だかわからない。通してくれたベトナム人もお寺の関係者なのかタムチーさんを頼って身を寄せている実習生なのかもわからない。

こちらが交通渋滞にハマってしまい到着に30分遅れたことで、タムチーさんはすでにお寺にはいなかった。

多くの人でごった返す本堂を見渡しながら

「今日は会えないかもな」と思いつつも少しの期待を込めて待った。

待っている間、暇だったのでお寺の敷地内を散策しながら1時間ほど待つと「またせてごめんなさいね」と言いながら、ニット帽を被ったジャージ姿のタムチーさんが表れた。

軽く挨拶を交わすと、彼女はすぐに動き出し多くの人に指示を出していた。タムチーさんの近くに張り付き、彼女がどんな指示を出し、何を気にしているのか探りながら話を聞くタイミングを待った。

ひと通り指示を出し落ち着いたところで、

「そろそろお話をうかがえますか?」と切り出し

「はい、わかりました。でも、あまり時間がないのでお話できる時間は15分しかありません。それでいいですか?」

と答えが返ってきた。

15分あればひとつ聞くには十分。

「はい、それでも大丈夫です」と答え本堂でお話をうかがうことになった。

「さきほどお話した通り、時間が15分しかありません」。

と彼女は言い、あらかじめマスコミ用に用意されたコロナ禍で技能実習生が陥っている状況、自身がどういった活動をしているのかなどをまとめた資料をもとに話をうかがった。

コロナ禍での帰国希望者への手配、同胞の保護、亡くなった実習生の葬式や遺体の受け取りなど…マスメディアで取り上げる内容としては申し分ないが、僕が聞きたいことではない。気づけば10分が過ぎ、資料の説明もほとんど終わろうとしていた。

「時間がない」

タムチーさんの話を遮り、聞きたいことを聞いた。

――なんで?日本でお坊さんをやっているんですか?

彼女は資料から目を上げると、資料を説明する口調とは違う柔らかな語り口で話し始めた。

私はお坊さんなってから日本に来たんです。農家の出身で7歳の時に仏道に興味持って、本当に苦労しましたけど、ホーチミンに移動して勉強して、2000年にホーチミン大学で私の論文を出しました。テーマは「禅における俳句について」です。その俳句を通して日本人の文化に興味持って日本の大乗仏教を学びたいと思い日本に留学したわけです。それで、大正大学に入学して日本語の別科大学院まで出たあとに、国際仏教大学の博士過程6年間を終えました。その頃私がベトナム人のお坊さんとして手ぶらで日本に来て仏教を学んでましたが、2000年頃にはベトナム人もそんなたくさんはいなかったんですよ。

私はアルバイトをコンビニとマクドナルドの2か所でやっていて、でもだんだん学校での成績が良くなって奨学金をもらうようになって、大学2年から博士までずっと奨学金をもらってました。おかげさまでゆっくり研究することができました。その頃はベトナム人が少ないから良かったのかもしれません。今だったらゆっくり勉強できないですね。なので、私も仏教の縁があって、7歳の時にお坊さんの袈裟がふらふらとんでね、その姿を見てなんか自由自在、解脱した姿だなと思って、まったく煩悩もない、清めた姿、それにすごく憧れました。

しかし、うちのお兄さんが大反対しました。父も家を出てずっと仕事だったから、母一人で9人兄弟を育てて、私は9人兄弟の中で末っ子として生まれたので、ベトナムでは末っ子だと、やっぱり幸せなものだと言われるくらい、それは母が大変な生活、苦労した人だったからだと思いますよ。一人で9人兄弟を育てて、その中に私が生まれて母は大変だけど毎晩お寺に通って、ベトナムのお寺は夜6時半から8時まで、夜勤行を毎日やるんです。一般信者さんが誰でも参加できる。うちからお寺までは、10分くらい離れたところにあったので、毎晩私をお寺に連れていきました。それに影響されたと思いますね。私が得度したきっかけは母のおかげです。母が仏教の来寺で毎日念仏して、昼間は市場で野菜を売って稼ぐ、長男とお姉さんお兄さん達は、田んぼを手伝って、それの繰り返しで生活していました。父が、出先のところで連絡が取れなくなって、結局母一人で、9人兄弟ずっとこの生活で育てたの。私が、貧しい家に生まれたからこそ、今回日本でね、貧困者困難者の気持ちがよくわかるの。私の目の前に助けを求めに来た子達の顔を見ると自分も断れないんですよね。もうしょうがない、もう知らん顔も出来ない。同じ同胞だからね、同じベトナム人、同胞ですからね。なので、日本の生活で、今コロナで日本人も大変でしょ。自殺だって増えて、なんか女性の自殺が増えたんですよね。今度、子供までも自殺、470何人くらいでしたよ。私それ見ました。

次の質問をぶつけた。

――日本社会はとても便利になっている。その裏にはベトナム人を含む外国人労働者の犠牲の上になりたっているとNHKスペシャルでも仰ってましたが・・・?

そうですね。その頃は152万人くらいだった外国人労働者の数は現在165万人程、この数字を見ますと、今日本社会はもう高齢化社会、やはり日本ではもう若い人材力がいないんですよ。我々が今レタスを食べたいときに、外国人実習生がいなければレタスも作れない時代なわけですね。なので、我々が今目に見えない恩恵ですね。例えば、オリンピックに向けて建設もたくさん作って建設をやっている間の、現場事故で亡くなったベトナム技能実習生も何人かいます。あとは高速道路も作っているでしょ。その時にも亡くなったベトナム人もいる。今農家から水産まで、お年寄りの介護までベトナム人の技能実習生が多いんですね。42万人の在日ベトナム人のコミュニティの中の数はその半分の22万人くらい。北海道から九州までどこ行ってもベトナム人実習生いるんですね。

私は去年、羅臼町まで行ったんですけど、海の海岸から約4キロ離れたところで小さい船に乗って釣りをしていた人が死体を見つけて、すぐ海上保安庁に電話し引き上げてもらったら、ベトナム人で、そこでも私はお葬式に出たんですよ。お葬式の日の夜コンビニにおにぎりを買いに行ったら、もう真っ暗な時間に4人ベトナム人が自転車に乗ってベトナム語を喋っていた。羅臼町ほどの遠い町でもベトナム人がいる。礼文島もベトナム人技能実習生18人いる。しかも鹿児島や広島の小さい島にもベトナム人がいる。

なぜ私が「日本社会は、ベトナム人を含む外国人労働者の犠牲の上になりたっている」と言ったかというと大体日本人ですね、例えば皆さんみたいに文化交流のある日本人だったら、みんな優しいし言葉もすごく丁寧で、しかし肉体労働の現場担当者の日本人の日本語はすごく荒っぽいんですよ。すぐに殴ったり暴言を吐いたり。

日本人は昔、ヨーロッパ人を尊敬してアジア人を下に見ていた。これは日本国民に今もまだ外国人差別概念があるからですよね。日本人同士でも皆さんがなかなかコミュニケーションの取れないのに、外国人の皆さんは仲間に入れない。この国は少しずつ国民の皆さんが変わっておかないと、もうどんどん社会も崩れちゃう。でも、今回私のこういう活動を知った人の中には、会ったことのない日本人でも皆温かい気持ちで手紙を送ってくれて、皆さん謝ってね、これを企業が悪い、政府が悪いとか確かにこの表現だと非常に彼らに差別がある。例えば技能実習生というのは、文字通りに日本に来て技術を学びながら仕事をし技能実習生をするべきだけど、完全に受け入れたら全く何も勉強させないで完全に労働者のように扱っている。もう働きっぱなしですね。技能実習生をやめて労働者制度を受けて、日本人と大体同じ給料払って、本人が税金を払う義務、保険を払って、体が悪くなったら医療も受けてみんな安定すればどんどん、みんなここに定住して永住して家族も呼んで、そうすれば日本社会ももっとどんどん強くなると思う。

しかし技能実習生の中には、問題やトラブルがあって逃げたり犯罪を起こしたりして、本当にベトナム人のイメージが悪くなったんですよ。私の希望では、できれば安定的な仕事、安定的な生活をして、ちゃんと書類上、定住権永住権がもらえば十年後二十年後在日ベトナム人のコミュニティがしっかりすると思いますけど、もしこのままいくと不安定そのまま。

――日本の事は好きですか?

私は日本に20年間いて日本の国大好き、日本人大好き、日本文化も好きですよ。私もお茶やお習字を習ったり、田舎に行くと日本でも違和感が全くないんですよ。そのくらい私は日本好きなの、自分もぬか漬けをやったり、きんぴらごぼう、ひじきを作ったり日本の国好きなの。みなさん私のように好きになっていいプレゼントを持って帰ってもらいたい。逆に日本の国を嫌う人も沢山いるのね。やっぱりそれは自分がいじめられて日本人と聞くと怖くなっちゃった。去年、グイさんという男の人は三重県で45日間働いた後に、暴力暴言低賃金に耐えかねて逃げてしまい、公園で寝泊まりしていたんですね。12月12日に電話がかかってきて、その時、彼は1,000円しか持ってなかったんですね。それで三重県のお友達にお金を借りてここまで、助けて欲しいと言って来ました。

日本人の皆さんもね、私は私、あなたはあなたという感覚ではなく、まあコロナ時代だから物質よりもやっぱり精神的のものが必要だと思う。ベトナム人とうまくいくためにはまず愛情。愛情を出して、ルールとか規則とか決まりだとか、それも大切かもしれないですけれどもやっぱり人間関係は愛情が必要ですよ。人間を物のように扱わないで、技能実習生って言葉でごまかしたって人身売買みたいな感じになっちゃうじゃない。技能実習生制度があって厚労省、会社も企業もその管理団体もいるはずなのに、なぜ今回このコロナでは1000人以上も私が守らないといけないの。この管理団体と企業がやるべきですよね。もちろん自分がやったから自分が言っているのではなくて、やはりこれはもう限界ですよ。

――タムチーさんには現在の日本人とか日本社会はどのように見えていますか?

そうね、本当に大変だと思いますね。今日本の皆さんはもう西洋文化を受け入れていてそれは間違っていると思いますね。例えば、西洋文化で18歳まで育てて、そしたら子供は一人、成長したらそれから放りっぱなしで家族に対しての関心もあまり持ってない。そして親戚のつながりも薄いですね。私から見るとまだ理解できていない。同じ兄弟その兄弟の子供、お姉さんの子供お兄さんの子供でも連絡取ってないとか。どんな国でも歴史文化伝統があるんですね。それを保ちながら海外から新しいものを受け入れて、参考にしてプラス、持っているものをまた新しく入ったものに合わせて、発展させていくことが大切ですよ。ただ肌で感じるだけでは足りないですね。やっぱり肌は表面じゃないですか。でも心まで感じないといけない。

これを私はずっと思っているんだけど、どうもなんか宗教を信じる心も薄いような気がするのね。日本の若い人たちは西洋文化の知識をたくさん入れて純粋な気持ちで宗教を信じていない気がするのね。やっぱりどんな国でもそこが出発点だからね。先祖代々残ったものを信じる深い心を持っていないと、この社会も崩れてだんだんケチな感覚になっちゃう。つまり西洋文化が入ってきて、貧しところから一生懸命働いて物を手に入れて溢れたらそれで十分だと思っちゃう。それで今度何か精神がショックになった時に解放する方法がわからない。みんな迷い道になっちゃいます。隣のお友達がいない、自分が抱えている問題をなかなか相談できない。なぜならばこれはわワビサビの文化だから。何かあったら心の底まで、奥までしまっておく、なかなか外に出さない。これはやっぱりオープンな文化ではないですね。日本人は、お金がいっぱいあってもみんなあんまり元気ないというかあんまり出さないっていうかね。それは国の文化もあると思いますけど、ワビサビの文化は禅にとってとても大切ですね。私たちお坊さんもそういうワビサビ文化が大切ですね。

だけど今若い者たちをそのままほおっておくと、もう隣の友達のことに関心を持っていない。そうすると人間との触れ合いが薄くなっちゃいます。物質的に溢れると充分だと思ってしまうから、じゃああなたはあなた、私は私になっちゃうんですね。

――タムチーさんはずっと日本に居る予定ですか?

そうですね。でも日本とベトナムの間は6時間だから短いです。コロナになる前に年間私も10回~13回ほど飛んでいました。2018年まで。ベトナムはもちろんベトナムの社会問題はいっぱいありますよ。ただ今言ったこういう精神的なものは日本はどうもなんか薄くなってしまいましたね。でも、やれば魂はもとに戻るんですよ。やれば元に戻りますけどね。たまにその神社とかに行って魂を元に戻してほしいですね。

当初15分の予定が、1時間以上お話をうかがうことができた。タムチーさんから日本人は西洋かぶれで自国の伝統や文化をないがしろにしてどうするの?と問題を投げかけられ、記事にするまで2年半以上もかかってしまった。話をうかがってからすぐに記事にすることはできず縄文時代から始まる日本の歴史や文化、宗教、思想に関する書籍を読み漁り、日本各地へ出かけ、自分なりに日本人としての骨格を形成しようやくタムチーさんのインタビューに向き合うことができた。

日本を深く知り、日本人として誠実に生きねばと思わせてくれるタムチーさんとの出会いでした。

 

photo by haruka takashima