情報と情緒の視点から次の時代のヒントを得るためのインタビュー連載「SCROLL」。
今回のインタビューは、外房捕鯨(株)社長・庄司義則さん。日本は昨年の6月30日に国際捕鯨委員会(IWC)を脱退し、30年ぶりに商業捕鯨を再開した。現在でも欧米などの反捕鯨国からは大きな反発が起こる捕鯨。しかし、かつての日本では最も親しまれた食文化のひとつでもある。
捕鯨の歴史を踏まえた上で、捕鯨という仕事について語っていただいた。

千葉県南房総市の道の駅「和田浦WA・O!」には、シロナガスクジラの骨格標本が展示されている。全長26メートルもある地球最大の動物。

――捕鯨の歴史的背景から外房捕鯨(株)の成り立ちを教えてください。

 この辺り(房総)の鯨漁は江戸時代初期、鋸南町勝山の醍醐新兵衛という人物によって始められました。16世紀には日本の古式捕鯨発祥の地と言われる和歌山の太地町から漁民が関東や伊豆へ流れてきていたという説もありますが、どちらにせよ主目的は鯨油を取ることです。当時は石油のない時代なので、油は全国的に貴重なものでした。

 ここではツチクジラという全長10メートルほどのものを捕っていましたが、西の方だとセミクジラというより大きなクジラを捕獲していました。銛で突いてから網を張って絡め取るという網取り式が用いられました。そのため、漁民だけでなく網を作る人々も各地から集い、労働市場が形成されていきました。捕鯨は日本の資本主義の黎明のような仕事です。

 明治以降になるとヨーロッパのエンジンやノルウェー式の捕鯨が入ってきて、房州の捕鯨では館山・白浜・千倉といった南へと拠点を移動していきます。当社は昭和24年に設立されました。定置網の仕事をやっていた祖父が始め、父を経て、現在に至ります。

フリーランスのカメラマン・西野嘉憲氏による著書『鯨と生きる』。鯨漁師や解体師の仕事ぶりが鮮明に撮られ、描かれている。庄司さんは解説を書かれている。

――会社を継ごうと思ったきっかけは何ですか?

 1991年にアイスランドで行われた国際捕鯨委員会(IWC)の会議を実際に見たことです。当時は日本水産で働いていて、30歳になると休みがもらえたんです。そこで国際会議に行ってみました。その時、「合理的な資源管理ができるのであれば、捕鯨ほど環境に優しい仕事はない」という言葉を聞いて、そういう世界に生きてみるのも悪くないかなあと思い、会社を辞めて地元に戻ってきました。

捕鯨は大体5.6人体制で行われる。銛打ちと舵取りが一人ずつ、残りは高いところから海を見渡し、クジラを探す。

――捕鯨の仕事について詳しく教えてください。

 仕事の特徴としては、船員と解剖士がいることです。捕獲してもそのままでは売れないので、解剖して肉や皮(脂肪)にする必要があります。

 まず鯨漁ですがツチクジラの場合、海面に浮いたクジラに向かって大砲を放つと、捕鯨砲から銛が飛び出します。銛には1km以上のロープがついていて、クジラと船を繋げます。クジラは暴れますが、返しがあって抜けないようになっています。そうして銛を打ち込んで絶命させ、陸まで運びます。

 ツチクジラは音に敏感なので、船の音を聴くと潜ってしまいます。一度逃げると30分以上は出てきません。そのため、船員の仕事は一日中海を見つめることです。

船が解体場に到着したらクジラをウインチで引き上げ、4時間ほどかけ一頭のクジラを解体する。解体場には、海から水が落ちるように斜面がついている。

 クジラが捕れたら解体に移ります。こちらは十数人で作業を行います。クジラは身体全体が厚い脂肪で覆われているので、まずこれを剥ぎます。その後、背骨を中心として背中と胸と腹の5つの大きな肉の房にします。各1トンくらいあるので、人が持ち運べる大きさにまで切っていきます。

 地元のお客様は柔らかい肉を好む方が多いです。ツチクジラは鮮度が良いと硬いので、捕獲してから18時間ほど時間を置きます。他のクジラと違って時間的猶予があるので、弊社のブログで解体する時間をお知らせするようにしています。そうすると、多くの方が解体の様子を見に来られるんです。

 現在の食べ物は衛生観念が厳しく、食品を製造する場所も人々の目に触れられません。だから、珍しいんでしょうね。決して見世物ではないんですけれど、皆さん興味を示し、何度も見に来られる方もいますし、お子さんの夏休みの自由研究になったりしているみたいです。

 解体作業が終わると地元の魚屋さんや加工屋さんが来るので肉を売ります。その肉はその日のうちに生鮮肉としてお客様に提供したり干物や佃煮になったりします。私たちも捕鯨が休みの時は「くじらのたれ」という伝統的なクジラの干し肉やベーコンを作って道の駅などの物産品店に納めています。

――国際捕鯨委員会(IWC)を脱退した今、捕鯨活動はどのように変化しましたか?

 1982年に商業捕鯨が一時停止され、それから30年以上クジラを捕って良い悪いの論争が行われてきました。IWCを脱退し、今年ようやく初年度が終わったところです。率直な感想としては、今まで戦わなければならなかった論争からようやく解放されたなと思っています。

 IWCを脱退したことで日本は公海(南極海)での捕鯨を辞め、200海里以内に限定しました。今年私たちは4月から八戸、8月から網走でミンククジラの捕獲もしました。しかし、高水温や悪天候に見舞われ、クジラが思ったようには獲れませんでした。結局、捕獲枠の上限以下の100頭も取れず、辛い年になりました。

――商業捕鯨が再開した今、どのような課題を抱えていますか?

 一番の問題は潜在需要の低下です。かつてのクジラは、日本人にとって最も馴染み深い食肉でした。給食でよく出るくらい非常に安い肉だったんです。しかし、南極海で数千頭単位で捕ってくるのが当たり前だった捕獲枠が300程度に減ったことで一気に値段が跳ね上がりました。

 今では市場で値段のつかないこともある皮でさえ、3000円くらいの時期があったんです。ようやく以前の値段まで下がってきましたが、30年経った今では世代交代が成され、食べたことのある若者は少ないでしょう。

 日本人の食生活自体も変化しているため、豚や鶏といった生産がオートメーション化された食肉と競合することは原価も含めて難しいと思います。

――最後に。今後どのような取り組みを考えていますか?

 クジラという食文化をどのように提供していくかです。例えば、ミンククジラは刺身として食べることができます。血も出なくて色も綺麗なので、生鮮のまま卸すことができれば十分に市場価値をキープできると思います。
 
 逆にツチクジラはこの辺りの地場商品です。地元で採れる美味しいものをみんなでシェアしましょうという気持ちで飲食店や給食などで食べてもらいたいです。
 
 そもそも、食べ物というのは気持ちを和らげるようなものなので、「これ食べられて美味しかったよ」と愛されるような食べ物になれば良いです。
 
 今は人に会うことが難しいご時世ですが、こんな状況だからこそ、人間は誰かと一緒にいたり信頼したりといった相互依存なしには生きられない生き物なんだなと強く感じます。食べ物を分けるというのは人間特有の習性ですしね。

 そういうわけで、私たちはクジラを自分たちで食べて素材を理解し、食べていただける皆さんにきちんと届けていこうと考えています。

外房捕鯨(株)の直営店「つ印 くじら家」。捕獲・解体したクジラを庄司さんが経営する食品工場で加工し、鯨肉をお客に提供している。

詳しくは、下記HPを参照。
http://www.tsu-kujiraya.com/
外房捕鯨(株)のプレスリリースはこちら
http://gaibouhogei.blog107.fc2.com/