イギリスから来日して36年。漆の美しさに魅せられ輪島に移り住み、漆芸作家として多くの美術展で入賞するなど数々の実績を積み重ねてきたスザーン・ロスさん。国内での活動のみならず、海外での講演やワークショップなども多数開催。2015年には、自身の歩みをまとめた著「漆に魅せられて」(桜の花出版)を出版するなど漆を国内外に広める活動を積極的におこなってきた。彼女は、自身の著を通じて、日本人に対し「伝統文化を失ってはいけない」などのメッセージを発信してきた。書籍の発売から5年が経ち、テクノロジーの進化やコロナ禍で混乱する世界のなか、今、日本に対し彼女が何を思い感じているのかをうかがってみた。

――2015年発売の「漆に魅せられて」のなかで、日本人に対し「文化を教える世界のお兄さんであれ」だったり「伝統文化を失ってはいけない」というような内容をお書きになっていたと思いますが、コロナの影響もありますが、AIを含めたテクノロジーの進化が加速していくなかで、日本のこと、輪島のこと、伝統文化や漆業界について率直にどのように感じていらっしゃいますか?

まずは、日本というか日本人についてですが、この30年くらいでとても弱くなってきたと感じています。私は、日本に居るので日本人と思ってしまいますが、世界中が弱くなっているのかもしれません。全てにおいて我慢が出来なくなっていると感じています。
あとは、日本の若者はアイデンティティクライシスになっていると思います。日本人の答えは自分の文化のルーツのなかにあると思いますが、現状は生活様式も含めアメリカ人となんら変わらない。日本の文化やルーツを守っていくという意味でも伝統文化はなくしたらいけないと感じています。

――よく個人の時代と言われますが、便利なサービスやスマホの影響で我慢をしなくてもいい土壌ができあがっていると思いますが「我慢しなくてもいい=我がまま」になっているということでしょうか?

自分の好き放題で自由にするのはいいけど、フリーダム(自由)とレスポンシビリティ(責任)はセットで考える必要があると思います。自分の好きなことができるということは、そのなかで社会に対する責任を個人が持っているはずです。自分が健康なら健康でない人を助けなければいけない。イギリスでは社会的責任としてボランティア活動が盛んなので、私自身、何度か日本でボランティア活動を起こそうとしたことはありますが上手くいかなかった。日本ではなかなか反対が多くボランティア活動は根付かない印象があります。

――なるほど。我がままになっている要因のひとつとして、これは日本だけのことではないかもしれませんが、全てにおいて最短距離を行くことが是とされている風潮があると思います。その辺についてはどうお考えですか?それこそ、全てがナビ化しているというようなことですが・・・。

私は、ナビがキライなんです(笑)。人生は冒険だと思っているので、旅(過程)を楽しむことが大事だと思っています。
最短距離については、学校もそう。日本では、試験、試験でこれを勉強すれば試験に合格する。そんなことばっかりやっている。経験が一番の先生、今から一番大事になってくるのはナチュラルシンキング。疑問を持って解決する能力を養わなければ、問題があった時にどうやって解決しますか?解決できない問題があったらそれでアウト。いろんな経験やいろんな挑戦をしたり、本を読んだりしていると、障害に負けずに、いろいろな方法でアプローチすることができるようになります。
英語では「Don’t forget smell the flower along the way(途中で花の匂いを嗅ぐことを忘れない)」という言葉があります。目標を達成することも大切ですが、目標にむかう道のりでの経験もまた大切だと思います。

――ありがとうございます。次に、漆塗りの世界についておうかがいしたいと思います。まず、コロナの影響や漆業界というか伝統文化に対する世界の反応などをお聞かせいただければと思います。

正直、コロナには悩んでいます。当たり前のことですが、お客さんが輪島に来ない。展示会もできなくなった。東京にも行けなくなって、講演会やワークショップも開けない。県からの助成金でオンラインショッピングをやっている人もいますが、質の良い写真を撮るのは難しいし大変。説明するのも難しい。実際に触れてもらって、説明しないと商品の良さを十分に理解してもらえない。私自身、今はオンラインショッピングで販売はしていないけど、これから販売しようと思ったら商品の良さを説明し納得して買ってもらうのに苦労すると思います。

――納得して買ってもらうことの難しさとはどういったところにあるのでしょうか?

正直、漆塗りは高いです。私が作って販売しているお椀ひとつとっても28,000円~120,000円はします。市販されている普通のお椀に比べて「なぜこんなにも高いのか?」を説明する必要があります。漆の木を育てるには12年もの歳月と多くの労力を必要とします。12年かけて約200mlしか取れない液体が漆になります。ベースとなる木工を3年間ほど寝かせ、1年かけて漆塗りをしたら単純計算で16年かかってしまいます。漆塗りをするところからスタートしても、少なくても半年から1年はかかるので決して高い値段ではありませんが、漆の良さを納得してもらうには直接触れて説明して買ってもらうのが一番です。私のお客さんのなかには外国人も多いけど、しっかりと納得して買ってくれています。

――外国人のお客さんもいらっしゃるということですが、外国人の漆塗りや日本文化に対する反応はどのようなものでしょうか?

5年前に書籍を出版してから、フロリダとかイギリスなど世界各地に出張して講演会やワークショップを開くことが多くなりました。日本文化は、本当に世界中で人気があります。外国人が日本文化に憧れを持っていて、かなりの知識を持っていました。日本のファンは、世界中どこにでもいます。漆塗りは、外国人が結構やりたがりますが、やる機会が少ない。版画や焼き物は専門のギャラリーがあり文化も西洋と似ているのでわかりやすいですが、漆については英訳がないなど情報も少ない。生の漆自体もなかなか手に入らないので実際に手に取ってみるのは難しいです。私自身もホームページで情報を掲載していますが、今の時代、読書が苦手な人も多く、何でもスマホで手早く済ませたいと思っているので、漆の工程やそれに関わる道具のことを読んでくれるのかは疑問に思っています。

――なぜ日本文化は憧れになっていると感じられますか?

日本の文化は、美しいし繊細。歴史も長い。あとは、無いところの美しさがある。余白で表現をする。これは、日本にしかない文化だと思います。

――少しスザーンさん自身のお話をお聞きしたいのですが、なぜ、30年以上も漆に情熱を持って作品作りに取り組まれているのですか?その情熱の源泉はどこにあるのですか?

まずは、漆が美しい。楽しい。そして同じものが二度と作れません。漆も生きていて、毎日違うし同じ仕事が二度とできない。毎日が勉強になります。今朝も朱漆が上手くできなくて、30年以上やっても、まだ上手くできないかと思っていたところです(笑)。
あとは、すごく表現の幅が広くて、それがすごい。次はどんな表現をしようか?どの素材を使おうか?石にしようか?金属にしようか?木目を見せようか?いろいろと考えているのが楽しいですね。
今でこそ表現の幅が広がり、いろいろなことに挑戦をして楽しんでいますが、漆の仕事を始めたばかりの頃はとても大変でした。制約の多い狭い世界ですし、人間国宝の先生の方もいて、やってはいけないことをたくさん教えてくれました。だけど、今は私にしかできない独自の表現を楽しんでいます。
先日、隣の福井県の越前和紙の町おこしをお手伝いさせていただくことになり「一緒にコラボレーションしませんか?」と声をかけていただきました。そのお礼に和紙をいっぱいいただいたのですが、段ボールみたいな分厚い和紙で木に直接貼ることはできません。それで、漆絵ができないかを考えて作品を作ってみたんです。常連のお客さんに初めて和紙の作品を見せた時は不安でしたけど、すごく応援してもらって、喜んでいただきました。今では結構売れています。

――先ほど、やってはいけないことの線引きがあるとおっしゃられていましたが、具体的にはどのようなことですか?

脚の高さとか仕上げとか、角の取り方とか、色の塗り込み、伝統的な銀は黒で塗り込み、金は透明の漆で塗り込むなど結構細かくあります。私が銀を緑で塗り込んだら、みんな驚いて、どうやってやったの?と聞かれました(笑)。ただ色を変えただけなんですけど、自由な発想で考えられなくなっているんだと思います。

――自由な発想が育たない理由はどこにあると思いますか?

それは、伝統工芸の悪いところです。また、日本社会の悪いところとも言えます。今までそうだったから禁止してるけど、なんで禁止しているのかがわからない。禁止している本人もなぜか?を答えられない。権威者が決めたルールに盲目的に従うことで、その権威や自分や社会にとってのルールに妥当性があるかについて疑問を持たないこと。そのルールが今の社会にどうフィットしているかを考え、その裏にある論理を理解し、そのルールが今でも通用するかどうかを判断する必要があるのではないでしょうか?実際、一番大切なのは、なぜルールに従わなければならないのかを理解することです。
昔、研修所で漆塗りの勉強をしている時に、日本のことわざで「出る杭は打たれる」と言いいますけど、輪島では「出たくぎは抜いて捨てる」と人間国宝の先生が仰っていました。それくらい目立たないようにしないといけない。疑うことなくルールを守らなければいけない。

――なかなか、今の地位を確立するまでにご苦労もあったと思いますが、これからも輪島で活動を続けられる予定ですか?

漆塗りの世界は基本的に分業制で成り立っています。私は、いずれイギリスに帰って活動をするつもりだったので全ての工程を自分でできるように勉強しました。出産やビザの問題で何度もイギリスに戻りたいと思ったことはありましたが、その度に、輪島に引っ張られて残ることになりました(笑)。神様から「輪島に残れ」と言われているうちは輪島に残ることにしています。もう、イギリスで活動することは半分あきらめています(笑)。

――最後に、これからの活動や目標などについて教えていただけますでしょうか?

越前和紙とのコラボすることによって、今まで考えたことのないものが生まれました。出会いを大切に新しことへの挑戦もしていきたいですし、今まで漆に触れたことのない若い人や男性にも漆の魅力を感じてもらいたいです。今まで、お椀やお皿の他にも、女性向けにアクセサリーを作っていましたが、この度、男性用のアクセサリーも作りはじめました。縄文時代のシャーマンも漆の装飾品を身に着けていたので、ぜひ若い男性にも身に着けてもらいたいですね。アジア人の男性はおしゃれだし、きっと似合うと思います。

最近では、ユニセックスで使用できるアクセサリーの製作販売もおこなっている。

――縄文時代から漆塗りがあったんですね?

そうなんです!漆は、9,200年以上の歴史があり、多用途に使用されることで珍重されていましたが、そのデザインは現在でも使用できるほど斬新なものでした。

――他には目標などありますか?

あとは、漆の木を森林組合にして管理してほしい。国で給料を払って、ちゃんと漆の木を植えたり、管理したりするようなシステムを構築してほしい。一本一本の木を手入れするには12年かかるので、それをしっかりとやってほしいという要望があります。
もう一つは個人的になりますが、世界中を旅しようと思っていましたが、コロナウィルスでなかなか難しくなりました。日本のことは十分知れたので、もう一度、ヨーロッパをまわりたいと思っています。イギリスの歴史や文化をもっと知りたい。自分の文化をもっと知りたいと思ってます。
それと、ずっと座りっぱなしなので、若いころに比べて体重が増えてしまいました。当面の目標としては10キロほど痩せたいですかね(笑)。

――本日は、貴重なお時間ありがとうございました。