約20年前、レストランのガイドブックの編集を担当していた時、会社のある表参道の骨董通りと六本木通り沿いにあるデザイン事務所を毎晩のように行き来していた。

カメラマンから上がってきた写真(※ポジ)をルーペで覗き込み、掲載する写真をハサミで切り取りポジ袋に入れた。ポジ袋に無地のシールを貼り、シールに店名とページ番号などの情報を書き込み、何十枚と写真を整理してデザイン事務所に届けた。180件の取材だったので、写真は膨大に上がってくる。

今では、考えられないほどの超アナログな作業。

しかし、あの頃を思うと、この作業があり1時間ほど会社を離れられることで救われた気がする。

単純な作業、深夜に届けるだけ。
それでも、とても楽しかった。

西麻布や六本木の土地勘があまりない自分にとっては、いろんなルートでデザイン事務所まで通い土地勘を養った。そして、他の社員が退社し会社に誰もいなければ2時間ほど戻らず歩き回った。

毎晩のように有名人に遭遇し、東京っぽさを肌で感じ少しだけ都会感を味わうことで一瞬だけダメな自分を忘れられた。

毎日のように怒られ、何も出来ない自分と向き合い実力のなさを思い知らされた夜に、何も考えず誰からも何も言われない時間。貴重だった。

24歳の自分に、この単純作業が存在していなかったら今日の自分が存在しているのかとすら思う。

仕事の中に、圧倒的な非合理性が存在することで自分が守られていた。

合理性が進む社会の中で、どこに非合理性を作るかが今の課題となっている。