2回目は、過去の出来事をもとに「東京グレー」の物語を書こうと決めていたがやめた。
過去を振り返るより、現代と「東京グレー」の関係を少しだけ整理してみたくなった。

僕は、現実が複雑に絡みあって脳が疲れてくると財布とスマホだけ持って夜の繁華街を歩く。旅人になったような気分で人の顔や街を観察して得られる情報とスッと入ってくる感情、身体に刻まれた体験をつなぎ合わせ絡まった脳をほぐしていく。

渋谷区道玄坂。
海外で食堂を探すようにニオイを嗅ぎ分けながらコートのポケットに両手を突っ込みフラフラと歩く。

学生、女性の2人組、カップル、OL、サラリーマン、ガールズバーの呼び込み・・・。
看板の灯り、タバコの臭い、飲食店から発せられる食べ物臭、若者の笑い声・・・。
明るい街。

肥大化した私欲で溢れている。公という概念がなくなった街からは、ヒリヒリとした恐怖すら感じない。露わになった個人の欲望と損得勘定からは表層的な煌びやかさと利害だけが存在している。人間が怖くない。人の居ない街が未来永劫あるかのように存在している。

煌びやかさを抜けるとそこは抜け出すことの出来ない濁った現実。
求めれば求めるほど濁っていくばかり。

東京にグレーというバッファが存在しなくなってきていることに気づく。
東京グレーは限りなく薄い。

理想と現実に悩むコントラストすら、都合のいい理解とお金の前にかき消されていく。

「何の意味があるの?」
「お金になるの?」

わからない。
わからないから追いかけて、自分なりに答えを出してみたいと思うんだ。
他人の幸せが自分の幸せに置き換わるほど、人にまみれてみるのも悪くない。
「東京グレーも楽しいぜ」と誰にも言ったことない言葉が浮かび上がってくる。